vol.727『白黒』

先日、2日続けて燃料商社A社とB社の方が来られた。どちらも同じ要件で、「元売マークを揚げませんか」─。これまでも、数年に一度ぐらいの間隔でこうしたお誘いをいただいてきたが、いつも「PBのほうが何かと気楽ですので」とお断りしてきた。今回、商社の方が異口同音におっしゃったことは、要約すると、「JXTGが誕生し、来年には出光とシェルがくっつき、二大元売の寡占化が実現すると、余剰玉が出にくくなるので、安定供給を得るためにも系列入りしては」というもの。何でも、JXTGは先の震災や豪雨の際、油槽所に油があっても、それを運ぶタンクローリーが足りず供給が滞ってしまった反省から、タンクローリーを大幅に増車するとのこと。ただ、肝心の運転手が不足しているためため、契約している運送会社に対し、運転手の養成を支援するとのこと。ただ、その際、系列店に運ぶときはローリー車体に元売ロゴのパネルを取り付け、PBスタンドへ運ぶときは取り外して無印に“変身”して運用していたタイプのローリーを認めず、車体にマーク塗装を施し、PBスタンドには出入できないよう求めているのだという。「そうやってPBへの締め付けを行なってゆくようです」─。

「はぁ~それはコワイお話ですね~」と応じたが、いままでも似たような話を幾度か聞かされたものの杞憂に終わってきたのも事実。そこで思い出したのは、中国の経済改革を推し進めた鄧小平の「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を獲るのが良い猫だ」という言葉。これは1962年の共産党中央書記会議の席で出たもの。この会議では「包産到戸」問題が話し合われた。「包産到戸」とは、個別農家が農地経営を請け負い、それぞれの農地に応じて生産量のノルマを決め、超過分は個人の所有とし、不足分は罰金を納める方式のこと。これにより、農家が自助努力によって自分たちの収益を増やすことができるというわけで、農業生産が停滞しはじめたため、60年代に入り多くの農村がこの方式を取り入れていた。

毛沢東が力を入れた「人民公社」の理念と相いれないとして問題視する共産党幹部も多かったが、鄧小平は、「できるだけ速くかつ容易に農業生産を回復させ発展させる方法があれば、それを採用すれば良い。民衆が望む形式を採用するべきであり、それが非合法であれば合法化すれば良い」と発言。さらに安徽(あんき)省の諺を引用して“黒猫白猫論”を展開したのだった。しかし、この言葉は文化大革命期に「主義と方針を持たない実用主義的観点」として批判され、鄧小平失脚の理由となる。後に鄧小平が復活して中国経済の改革開放路線が本格化すると、教条主義的な姿勢を排除するための号令として広く知られるようになった。

日本の石油元売も、強大になったいまこそ、「マーク車でも、無印者でも、油を運ぶのが良いローリーだ」、「系列店でも、PB店でも、油を売るのが良い店だ」という柔軟な発想ができないものだろうか。どんなローリーで運ぼうと、どんなスタンドで売ろうと、中身は同じものなのだから。

そもそも、業転玉が無くなってしまうなんてことを、当の石油商社も信じていないと思う。商社が元売に“うちに油をまわしてください”と懇願するようなことは一過性の事象としてはこれまでもあったが、大抵は元売のほうが“うちの油をさばいてください”と頼んでくるので、前述のタンクローリーの“基準”が本当だとすれば、困るのは石油元売のほうなんじゃないかと心配したりして。

懇意にしているPBスタンド店主さんも、「うちにもマークの話が来たぞ」と。「“もうじき業転が無くなるからマークが必要ですよ”って言いやがるから“あんた、もうちょっとマシなセールストークを考えてきなよ。コストコが品切れになったらもう一度おいで”と言ってやったわ」と笑っていた。そうかと思えば、このコラムを通じて知り合った西日本の三者系列店の店主さんは、このほどPBになることを決断。その旨特約店に知らせたところ、当該元売から、“サインポールをぶった切って、店は真っ白に塗りつぶすからな”と、なんとも乱暴な言葉を浴びせられたと憤っていた。いいじゃないですか。白いGSでも、赤いGSでも、青いGSでも、黄色いGSでも…。

 セルフスタンドコーディネーター 和田信治
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