vol.785『棺桶屋』

黒澤明監督の時代劇映画『用心棒』(’61)。世界のフィルムメーカーたちに計り知れない影響を与えた大傑作である。二組のやくざがいつ果てるともなく争っている宿場町に、そうとは知らず一人の浪人(三船敏郎)がやってくる。異様な雰囲気を感じつつ人気のない通りを歩いて行くと、野良犬が切り落とされた腕をくわえて通り過ぎる。浪人は町の一角にある寂れた居酒屋へ。店の主人(東野英治郎)との会話。

「酒かね?」「ん?うん、めしだ」「ここんところ商売上がったりでね。何もねえぜ。めしも冷てえが」「かまわん」。しばらくして、カンカンと小槌で叩く音が鳴り出すと、主人が忌々しそうに、「ちぇっ!また始めやがった。隣の桶屋だよ。近頃この町で景気がいいのはこいつばっかりだ。棺桶が毎日飛ぶように売れるのさ。まあ一つ宿場に親分一人ってんなら我慢もできるが、一つ宿場に親分二人とくると、もういけねえや。儲けんのは棺桶屋だけだ。うるせえぞ、ちくしょう !」─。

イタリアではコロナウイルスによる死者が5千人を越え、欧州各国で感染者が激増中だ。ニュースで、教会にズラリと並べられた棺の映像を観ていて思い出したのが、冒頭のシーン。不謹慎ではあるが、棺桶屋は思わぬ“特需”に大わらわだろう。このたびのウイルス禍で、ありとあらゆる商業活動に悪影響が生じているが、笑いをこらえるのに苦慮している業種もあるのは事実だ。マスクを製造しているメーカーや、連日開店前から客が列を作っているドラッグストアは言うまでもない。(店頭で働いている人は大変だが)

飲食店が悲鳴を上げる一方で、スーパーの惣菜類や麺類などは年末並みの売れ行きだとか。自宅学習を余儀なくされている子どもたちのための学習ドリルは、例年の3倍近く売れているそうだ。ドリルだけでなく、家で簡単に作れる料理の本とか、児童向けの絵本などを買い求める客が増え、書店は久々の活況を呈しているとのこと。また、100円ショップでは、子ども向けの玩具として、折り紙、粘土、シャボン液などがよく売れているらしい。家電量販店「ヨドバシカメラ」では「テレワークコーナー」が特設され、ウェブカメラや小型マイク付きヘッドホンの2月の売り上げが前年の5倍にまで拡大した。こうした現象を“巣ごもり消費”と言うんだとか。

むろん、このまま“コロナ特需”が続いてほしいなんて思っている人なんかいないだろう。一時的にいろいろなものが売れたにせよ、世界全体の景気はいままで経験したことがないような規模と速度で悪化しており、コロナウイルスに感染する前に、絶望のあまり自ら死を選ぶ人たちが増えてゆくんじゃないかと心配だ。当然、治安も悪化してゆくことだろう。それに伴い、また思いがけないものが売れるようになるかもしれないが…。

一方、コロナウイルスのおかげで、喜ばしい変化も生じている。“水の都”ベニスでは、観光客がいなくなったおかげで、彼らの出すゴミがなくなり、水上交通量もほぼ皆無となったため、運河の水が劇的にきれいになっており、市民は、普段は濁っていて見ることのできなかった魚や、ボートの行き来が途絶えた運河を遊泳する水鳥たちの姿を楽しんでいるという。人間がしばしのあいだ“巣ごもり”するだけで、自然環境は驚くほど早く回復するというわけ。

GS業界も、原油価格が暴落し、仕入れ価格も大幅に下がっているにもかかわらず、予測不能の事態への恐怖心からか、市況はそれほど悪化せず、おかげで販売量は落ちてはいても、それを補って余りあるマージンが確保されており、まさにベニスの運河のごとき穏やかさを享受している。まあ、いつまで続くか分からんが。そのうち、「安売りウイルス」のオーバーシュートが始まらないかとビクビクしている。最後も『用心棒』の三船のセリフで締めよう。「博打打ちが仲直りすんのは、もっと大喧嘩するためだ。早い話が仲直りして、もっとでかい喧嘩の種を育てるんだ。博打打ちの仲直りほど物騒なものはねえんだぞ !」─。

 セルフスタンドコーディネーター 和田信治
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