vol.803『県民性?』

むかしから、名古屋は“絵にも歌にもならない街”なんて言われてきた。確かに、名古屋を舞台にした有名な映画や小説、歌謡曲なんてないもんな。おとなりの岐阜には「柳ヶ瀬ブルース」なんてのがあったりするのだが。東京・大阪に次ぐ大都市でありながら“華”がない。京都のような歴史もなければ、神戸や横浜のようにおしゃれでもない。食い物も札幌や福岡に比べるとイマイチ。しかし、私たち「名古屋人」は、そのことを特段気にしているわけではない。“いっぺん名古屋に遊びに来てちょ~、どえりゃあエエとこだで”なんてアピールする気もない。

県民性に詳しいあるコンサルタントの分析によると、名古屋市は工業都市として発展した地域で、商業が盛んな地域とは違って、工場で機械相手に仕事をするので、“おもてなし意識”が淡白になり、頑張って一つ上に上がろうというよりは「仕方がない」と思うのではないか、とのことだ。ふ~ん。とにかく、観光振興という点において、名古屋市民はそれほど熱心ではないということは、肌感覚で感じていた。
そんなことが幸いしたのか、このあいだまで名古屋市並びに愛知県ではコロナ感染者がほとんど増加していなかった。“やっぱり名古屋には遊びに来る人がそんなにいないからかなぁ”と思っていたのだが、先週あたりからぐぐっと増えてきて、愛知県は、一昨日(25日)「感染者千人越え」の仲間入りを果たした。そうだよな~。なんだかんだ言っても、230万余りの人間が住む大都市、県全体では740万人を超える。いくら他の大都市と比べて魅力がなかろうと、感染者数が数百人で済むわけがないと思っていたから、それほど驚きではない。それでもなお、愛知は人口10万人あたりの感染者数が14.46人で、人口500万人以上の都道府県の中では、最も低い。

では、コロナ感染者数と県民性には関連があるのだろうか。例えば、今日現在まで感染者数ゼロの岩手県だが、岩手出身の歌手・新沼謙治はインタヴューで「岩手県民はみんな、言われたことを守る人間が多い。『外に出るな』『首都圏に行くな』と言われれば、しっかりとそれを守る県民性がある。さらに言えば、もともと土地の広さのわりに人が少ないので、感染しにくい状況を作れたのではないかと思う」と答えている。(5月25日付「日刊スポーツ」) また、 2018年の総務省の家計調査によると、免疫力を高めるとされる納豆の1世帯当たりの年間購入金額が最も多い都市は盛岡市だったそうで、これも感染防止につながっているのかもしれない、とのことだ。
どこまで本気にしたらよいか分からないが、このところ、コロナ感染者数と県民性との関連性がもっともらしく、大真面目で論じられている。私はそうした論議に総じて懐疑的だ。考えてもみよ。東京都は人口1300万人強、GNP約85兆円という世界有数のメガポリスだ。人口密集度は岩手県の80倍。そんな都市で、ひとたび伝染病が広まれば、ケタ違いの感染者が出るのは当然のことだし、東京都民の民度と言ったって、都の人口の45㌫は地方出身者だそうだから、論じるのも阿呆らしい。さらに言えば、県民性に飽き足らず、国民性・民族性と感染率を結びつけることは、新たな分裂や差別を世界にもたらすだけの有害な論議であると断じたい。大切なのは、手を洗い、マスクを着け、密集を避けること─これは万国共通である。結びは、「ニューズウィーク」誌に掲載されたややウケのジョークで。

国際会議で「コロナ禍の今、何が必要か」について話し合われた。

アメリカ人が言った。「勇気だ」。

ドイツ人が言った。「ルールだ」。

フランス人が言った。「愛だ」。

日本人が言った。「技術だ」。

最後にロシア人が言った。「ウオッカだ!」

みんなが不思議そうに聞いた。「なんで?」ロシア人は答えた。「ウイルスを抑制することはできない。でも、不安を抑制することはできる」─。

セルフスタンドコーディネーター 和田信治
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