COCと独立経営<810>軽乗用車販売の4%が新型EV – 関 匤

1980年代に米国でレーガン、英国でサッチャーという規制緩和推進のトップが登場しました。英国では国営メジャーだったBPが民営化されて今日に至ります。

レーガン政権は、軍事技術の民間転用を積極的に進めました。この時がインターネットの嚆矢となります。新しい通信技術の登場に、我らが旧通産省が敏感に反応しました。「INS」(インフォメーション・ネットワーク・システム)という構想を打ち出したのです。

やったことは東京都三鷹市にINSブースを設置しました。ここで端末を操作すると地域の美味しいお店とか名産品を見付けることができるというのが、主なコンテンツであったと記憶します。面倒な操作が伴い、出てくる検索結果は観光協会と変わらないものでした。気が付いたら無くなっていました。

日経ビジネスがこれを揶揄して「INS=いったい・なにを・したいのか?」と特集記事を出しました。武器の持ち腐れで役人の想像力欠如を露呈しました。

ただ、この頃から仕事の中にデジタルが徐々に入り込んできました。手書きがワープロとなり、資料をワープロのカルク計算で作成し、ワープロ文書・データを電話回線で電送するという動きがジワジワ進行しました。

そしてウィンドウズ95の登場で世界中にデジタル・インターネットの投網が一気にかかりました。現在、当たり前のようにネット検索していますが、ここに至るまで30年以上の時間を要しています。通産省のINSは間違った考え方ではなかったのですが、勃興期の試行錯誤の「錯誤」の1つとなりました。

自動車とエネルギーを考える時に、EVは私にとってかつてのインターネットにオーバーラップします。

EVというかエネルギーと環境が議論されたのは1990年に入った頃と記憶します。東西の壁が崩壊して、欧州がEUという経済圏を再起動する時期でした。想像ですが、東側諸国を取り込んだ旧西側諸国は東側の環境の悪さに驚いたのではないでしょうか。そこからEU主導で「地球環境問題」を思い付いた、というのはうがちすぎでしょうか。

CO2を“悪者”という前提に置いて、環境にやさしいディーゼル、電気自動車、そしてFCVもこの時期に話題が台頭しました。ただし、ディーゼルは不正検査で挫折し、FCVは現時点で“あさっての車”です。

EVは21世紀前後から日本でもバズワードとなりました。COCでもEV時代にSSは何ができるのか、と危機意識を持って積極的にEV関係者と付き合ったものです。百花繚乱の時代でした。慶応大学が六輪のEVを開発して話題になりました。

先に「オーバーラップ」という言葉を使ったのは、インターネットは数多くの試行錯誤の死屍累々の上に確立されてきました。EVもスーと現れてパーと消える、勃興期のスーパーマーケットを揶揄する表現通りの歩みを続けてきました。しかし、データを見ると水面下で着実に市場を作りつつあると実感せざるを得ません。

HVやPHVを除く純粋なBEV(バッテリーEV)の登録台数は0.2%にすぎません。一方、こんな記事が出ました。「2022年上期のEV国内販売台数(軽自動車含む)は前年同期の2.1倍、記録のある16年以降で初めてEVが乗用車新車販売の1%に達した」(日本経済新聞)。

6月に、日産自動車と三菱自動車の共同プロジェクトで軽乗用車EV(日産サクラ、三菱ekクロスEV)が発売されました。販売好調が伝えられます。全国軽自動車協会連合会の統計を見ると、この2車種だけで軽乗用車販売台数の6月で2.1%、7月は3.8%となっています。軽乗用車の世界でゲームチェンジが起こる可能性を考えざるを得ません。

インターネット普及と比べた時、自動車はどの段階なのでしょうか。EVを真摯に見つめる時に来ていると感じます。

COC・中央石油販売事業協同組合事務局


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