COCと独立経営<817>村上さんについて(続) – 関 匤

前回に続き「村上さんの話」です。今回で終わらないですね。というのも、村上さんとの出会いが私の考え方に多大な影響を及ぼしているからです。
1990年代半ばに、米国でテキサコスタールブと出会ったことが「原点」となりました。
車好きもあってエンジンオイルにこだわりを持って交換作業を非常に大切にしていました。一方、SSでのオイル販売に疑問を持ってもいました。当時、250坪の1SSでした。物理的な限界があって、それが作業性に影響し交換台数が伸びない状況でした。また、フルサービス時代で、作業中に給油するなどオペレーションにも問題を感じていました。有名なカーショップを見学して、売り場と作業をきちんと仕分けすべきと考えます。
テキサコスタールブでは半地下とフロアで2人1組で点検と交換を進めていました。精度の高い作業を短時間でこなせます。村上さんが1番引かれたのが、引き渡し時にPCからプリントアウトされた箇所ごとに点検チェックが入った作業報告書でした。
この経験から新しいカーサービスに構想を膨らませていきます。最初はクイックルブ日本版の立ち上げでしたが、ここで追い風が吹きます。1つは「道路運航車両法改正」による車検取扱い自由化であり、1つは「セルフ給油解禁」でした。この2つのトレンドを盛り込んで、構想を再構築しました。車検は「指定工場」を視野に入れました。
すると、構想通りの店づくりには1000坪の敷地が不可欠となり、新設ですから投資額も数億円になってしまいます。村上家は資産家ではありますが、1SSサブ店にとって分不相応の投資となり一番悩むことになります。
当時は自由化前の前哨戦が激化していました。自由化の影におびえた元売が、幹線道路に片っ端からSSを新設し、競合による価格競争とティッシュ飛び交う販促合戦が全国で展開されていました。田舎の1SSサブ店が手をこまねいていたら吹き飛ばされるだけ、ガソリン量販戦略を続ける体力はない、むしろ本格的なカーケアセンターの力でガソリン市場の激変を吸収できないか。こっちで勝負したいと決断して、社長であった父親を説得しました。
当時の三菱石油は、特約店担当が熱心にサブ店回りをしていました。業界事情や成功店の事例など勉強になることが多かった、と村上さんは未だに三菱へのロイヤリティを持っています。そして元売がサブ店に1000坪の敷地を斡旋しています。社有SS用地として確保していたものです。
こうして「ATA(アティア)」という給油機能を持つ本格的なカーケアセンターが日の目を見ます。ただし周囲の目は「身の程知らずのバカ息子」呼ばわりでしたが…。
日の目を見る直前、大問題に直面します。元売が合併しました。他系列だった大手特約店群が同系列店になりました。
ちょうどセルフ解禁の1年後です。車検もセルフシステムも完成してオープンを待つだけでしたが、合併元売りから「待った」がかかります。元売がセルフに明確な戦略をだしておらず大手特約店もセルフに慎重な状況にあって、「サブ店ごときがセルフとは僭越至極」となります。
給油がセルフでないと業態は成立しません。ヒト・モノ・カネをATAに集中し、給油はアルバイトの監視人まかせが前提だったからです。村上さんもタフな性格ですから、ここは絶対曲げません。
その結果、「サインポール撤去」されました。ふつうはSSが外すものですが、元売が撤去しました。「資源エネ庁長官賞」をもらうほどの“真面目なサブ店”で業転は一滴も買っていません。特約店さんへもきちんと支払っていました。セルフ化を理由にマークを取られたのは、歴史上後にも先にも村上さんだけです。(続く)

ATAオープン後も米国をたびたび訪れ精力的にカーケア業態に飛び込んで見学した (サンディエゴのクイックルブEZ-Lubeで)

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