vol.699『大震災7周年』

『東日本大震災の復旧工事の一環で、内陸部への移転が決まっているガソリンスタンド「オカモトセルフ陸前高田店」(岩手県)には、震災時の津波で破損しながらも周辺で唯一残った高さ15メートルの鉄柱看板がある。運営するオカモトは、規制に沿って看板の廃棄も検討したが、一部を震災モニュメントとして新店で展示することを決めた』─3月8日付「十勝毎日新聞」電子版。

震災時、海岸から500㍍ほど先の国道沿いにあった同店は津波で全壊したが、1年後に営業を再開した際、唯一残っていたサインポールに「津波水位15・1M(㍍)」のパネルと矢印を新たに掲示し、そのまま使用してきたのだが、今回国道周辺のかさ上げ工事のため移転することに。件のサインポールは屋外広告の規制強化前に建てたものであるため、撤去せざるを得なくなったが、いわゆる“震災遺構”として存続することになったというわけだ。

そのサインポールの写真は、ネットで、「オカモト 陸前高田」と画像検索すれば見ることができるのだが、物凄い衝撃波が東北の諸都市を襲ったのだということを改めて思い知らされる。陸前高田市といえば“奇跡の一本松”が有名だが、オカモトのサインポールも、津波の恐ろしさを伝えると共に、復興への希望の象徴となることだろう。

今年も3月11日は、テレビ各社が震災関連の報道番組を放映していたが、津波が港や町を押し潰しながら突き進む映像は何度見ても恐ろしい。そうした映像が映し出される前には、必ずおことわりのテロップが流される。やはりあの災害を体験した人たちにとっては、7年経っても、いやむしろ時間が経過すればするほど、津波災害の映像は恐怖を呼び覚ますのだろう。それは当事者にしかわからない感覚なのかもしれない。

被災した方々は“忘れたい”という気持ちと“忘れてはいけない”という気持ちの狭間で苦しんでおられるのではないか。家族や家、仕事などを一瞬にして失った人々の中には、あの日の記憶を呼び覚ます物は一日も早く消し去ってほしいという思いの人もいれば、むしろその逆に、忘れてしまうことへの戒めや、後の世代への教訓ゆえに、それらを保存すべきだと主張する人もいる。私のような非当事者には意見する資格はない。

東日本大震災が他の自然災害と比べて特異ならしめている最大の理由は、やはり原発事故とその余波に尽きるのではないか。福島第1原発の非常用ディーゼル発電機の燃料タンクは屋外にあって、津波で破壊されたため、緊急炉心冷却装置などの安全設備が機能せず、メルトダウンを引き起こすという最悪の結果を招いた。燃料タンクをGSのように地下に埋設しておけばあれほどの被害にはならなかっただろうとの指摘もある。

いまだ放射能の影響下にあり「帰還困難区域」となっている地域の対象住民は約2万4千人。避難者総数は7万3千人。復興は道半ばであり、それを阻んでいる大きな要因のひとつが放射能であることは間違いない。ゴーストタウンとなった街は、まさに究極の震災遺構だ。やれEV時代だのなんだのと言っているが、そのエネルギー供給のために原発再稼動、新規建設が必要となれば、日本国民は大きなリスクを背負うことになる。この先どうなってゆくんだろう…。

それにしても、毎年3月11日がくると、平凡な日常がどれだけありがたいものかをいつも以上にかみ締める。今年は日曜日だった。定期的に会う近所の知人とお昼に寿司を食べながら、7年前のきょう俺はどこでどうしていたなんて話をし、そのあと日進市の店に行って1時間ほど仕事。夕方には帰宅して、家内と二人して「天ぷら食べたいなぁ」ということになり、外食。季節の山菜の天ぷらで一杯やって10時ごろに就寝。同居している三男は友だちとスキーへ。神さま、どうかあすも平安な一日でありますように…。

 セルフスタンドコーディネーター 和田信治
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