「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」─。これは“パラリンピックの父”と呼ばれるイギリスの病院の医師、ルードウィヒ・グットマン博士(1899~1980)が残した言葉だそうだ。生まれながらにハンディを抱える人や、病気や事故などで体の機能の一部を失ってしまった人たちの多くが、この言葉に励まされ、前を向いて生きてゆくことができたという。
ドイツ出身のユダヤ系医師だったグッドマンは、ナチの迫害によりイギリスに亡命。第二次世界大戦中、傷痍軍人たちの治療を通じて、その身体的・精神的なリハビリテーションにスポーツが最適であると考え、1948年に自分が勤める病院の患者によるスポーツ競技大会を始め、これが後のパラリンピック大会へと発展していった。第1回ローマ大会(1960)の参加国は23、競技者数は400人だったが、第15回リオ大会では159ヶ国、4、342人にまで拡大、数ある障害者スポーツ大会の中で、最も知名度が高く、商業的にも成功をおさめつつある。
きょう(24日)から開催されるはずだった東京大会は、史上最高規模になる見込みだったが、コロナ禍により1年延期。そこに追い討ちをかけるように、スポンサー企業が業績悪化を理由に、次々と支援の縮小や打ち切りを通知してきている。その結果、競技団体の半数が強化費不足に陥っており、例えば、国枝慎吾や上地結衣らメダリストを擁する日本車いすテニス協会ですら、毎日新聞の取材に対し、「感染症の長期化で協賛企業の撤退の恐れがあり、合同合宿や海外遠征のめどがたたない」と答えている。
ハンディを抱えながら、メダル獲得を夢見て厳しい練習を続けてきたアスリートや彼らを応援してきた人たちにとって、何とも酷な話だが、いまの状況では如何ともし難い。いまや多くの企業が存続の危機に立たされており、アスリートを支援する余裕などなくなっているのだ。また、国際パラリンピック委員会の会長は、1年後の開催についても、「感染ゼロの保証が条件」と明言しており、ハードルはかなり高いといわざるを得ない。
関係者はまだ怖くてだれも口にしないが、東京五輪は中止になるだろうと国民の多くは感じ始めている。あるいは、早期に断念し、物的・人的資源を困窮している人々の支援に充てるべきだと考えている人も少なくないだろう。本当は、こういう時代だからこそ、スポーツや音楽、芸術などの“ちから”が必要だと訴えても、“腹の足しにはならない”という卑近だが、現実的な言葉の前には沈黙せざるを得ないのだ。
アスリートたちに限らず、コロナ禍で多くの人たちが、生きがいとしていたものを失ってしまった。大黒摩季の歌じゃないけれど、“これから私 何をどうして 生きてゆけばいいんだろう”という気分の人がいっぱいいることだろう。そんないまこそ、「失ったものを数えるな」と自分に言い聞かせなければならない。不自由に見える新しい日常を生き抜くための秘訣は「残されたものを最大限生かせ」─。
GS業界も、コロナ禍で売上げを大きく落としているが、それは仕方のないことであり、いまさら数えたって仕方ない。「いまあるもの」で満足するなら幸福な気分になれるし、それを「最大限に生かす」べく知恵を働かせる方が前向きな生き方を送れる。
私自身は、「セルフ」であることと「PB」であることが「残されたもの」であり、それゆえに何とか大型店がひしめいている地域においても生き延びてこられたのだと実感している。コロナ禍においてもそれは変わらず、それどころか、この危機的な状況が、「適正価格」というこれまで「得られなかったもの」さえもたらしている。経営は決して楽ではないが、「失われたもの」ばかり考えて悲観する必要はない。コロナの時代はいつの日か必ず終焉すると私は信じている。
セルフスタンドコーディネーター 和田信治
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