考えてみたら、今年2024年は初の東京オリンピックから還暦60年の節目です。
私は、東京五輪を機に日本は激変したという実感を持っています。五輪以前の記憶はモノクロですが、以後はカラーになっています。カラー写真が当たり前になったからです。それを可能にする水面下の技術が五輪後に爆発的に広がりました。ハーフサイズカメラの開発、販売競争が到来していました。
価格が安いうえに36枚撮りフィルムで72枚撮影できました。プロ仕様のライカと違って子供でも簡単に操作できました。
SSに関係する自動車市場はとんでもない革命的な状況でした。団塊の世代が免許取得に入ったことで、各地に自動車学校が創設されます。
何より自動車メーカーの戦略が大きく転換しました。「いつかはクラウン」という出世の象徴的な車と、課長さん・係長さんのファミリーカーとしてスバル360などお父さん世代から、一気に若者へ戦略ターゲットが変わりました。そりゃマーケットの母数が凄いですから。
走りとスタイルを意識した開発が行われます。日本の乗用車台数は五輪後から1975年の10年ほどの間に「13倍」に爆発的拡大をしています。
五輪以前は江戸から明治の価値観が、とりわけ私が育った地方には根強く続いていました。ようはモノを捨てない、大切に使い続ける考え方です。
例えば、実家の前の砂利道を毎朝市場に野菜や牛乳を運ぶ牛車が往来していました。牛は踏ん張りますから、お尻から立派な落とし物があって、道路の随所に“湯気のたつ小山”の足跡を残していきます。
ところが、30分もしないうちに全てがきれいになくなっていました。
近所の人たちが拾い上げるのです。畑や庭で栽培する野菜の堆肥に重宝していたのです。五輪以前は廃棄物の出ないリサイクル社会でした。たしか幕末の東京日本橋を歩いた英国外交官が、同じような光景を目の当たりにして、「世界一きれいな街」と感慨を述べています。
産業革命の渦中にあった欧州の市街地は相当に汚かったようです。パリのセーヌ川は臭くて堪らなかったようです。欧州のご婦人が晴れの日にも傘を差したのは、路地道でアパートの2階から平気でオマルの汚物が投げられていたからとか。防衛策がファッションになったのですね。
背伸びして文明論的なことを書いていますが、五輪後といえばSSも自動車とともに激増しました。
車の商売が格好良いと考える若者、しかも人口の多い団塊世代です。高度経済成長に入った日本では至る所で都市計画により道路が走ります。農家の次男坊が道路が走る農地を転換してSSを開業するケースが続出します。
SS企業の本籍地を尋ねれば、農業が少なくありません。意外に多いのが自転車屋さんです。肥料屋さん、自家用給油所を持っていた運送屋さんやタクシー屋さんもいます。そして元売マークを不要とする無印SS(PB)も登場しています。
COCの某有力企業は新聞屋さんでした。配達を効率化するために乗用車を購入したのが始まりだそうです。現会長は、車のない地方ということもあり、高校生の頃に無免許の学生服で「白タク」で稼いでいたそうです。
話は転がりすぎましたが、今は元売からSS経営者までこれからどうすべきか分からない過渡期にあります。こういう時代だからこそ、既存事業からの業態転換や若い知恵による画期的なビジネスが生まれる予感をしています。
COC・中央石油販売事業協同組合事務局