『19日午後0時25分頃、東京都豊島区東池袋の都道で乗用車が赤信号を無視して暴走し、歩行者を次々とはねた。この事故で、自転車に乗っていた近所の主婦(31)と長女(3)が死亡。そのほか男女計8人が重軽傷を負った。警視庁によると、車を運転していた87歳の男性は「車のアクセルが戻らなくなった」と話しており、運転操作ミスとみて調べる』─4月19日付「讀賣新聞」。
その後の報道で、事故を起こした男性は、1年ほど前から足が悪く、つえをついていたことや、駐車がうまくできず、事故前日も駐車に手間取っていたこと、マンション住民に運転をやめる意向を示していたことなども明らかになっている。
あとを絶たない高齢ドライバーによる事故。そのたびに、“高齢者から運転免許を取り上げるべきだ”という声が高まるのだが、なかなか一筋縄では行かない。一昨年から、道交法は、更新時や違反時などに義務づけた検査で認知症と診断されれば免許停止や取り消しにできるよう改正された。しかし、池袋の事故の場合、運転者は認知症ではないとされていたそうだから、その診断結果が運転能力への過信につながっていたとすれば、皮肉な結果と言わざるを得ない。
実際、高齢者の事故原因は認知症だけではない。齢をとれば、だれでも判断力や技能は低下する。一方、国は社会の高齢化が加速度的に進むなかで、働く意欲のある高齢者の就労を増やし、公的年金制度などの社会保障を財政的に維持していこうと目論んでおり、60~64歳の就業率を2020年に67%まで引き上げるとの数値目標を掲げている。だがそれは、高齢者が通勤や仕事で自動車を運転する機会を増やすことにほかならない。
池袋の事故から2日後の21日には、神戸市中央区の三ノ宮駅前で、横断歩道上の歩行者が市バスにはねられ、20代の男女2名が死亡するという事故が起きたが、逮捕捕されたバス運転手は64歳の男性だった。64歳といえば、いまでは年寄り扱いするのは少々失礼な年齢かもしれないが、一度定年退職後再任用されたとのことで、ベテランといえば聞こえはいいが、やはり高年齢だったことが事故を起こした遠因だったかもしれない。本人は「ブレーキが利かなかった」といっているそうだが…。
空前の人手不足となっているいま、様々なサービスを維持してゆくためには、高齢者にも働いてもらわなければならない。つまり、運転してもらわなければならない。それがこの国の現状だ。しかし、高齢者ドライバーは危ないと十把一絡げにするのもいかがなものか。高齢者ドライバーの多くは、いい意味で“下手”な人が多い。認知症の人は別として、高齢者は概して自分の心身の衰えをよく自覚しているうえ経験も豊富なので、慎重な運転を心掛けている。いろいろな統計を見ても、60代のドライバーは20代より交通事故を起こしにくいことを示している。交通事故のニュースに、「高齢者」というワードがあるとすぐに気色ばんで“だから高齢者は…”と反応する人もいるが、もう少し冷静に問題を見る必要があるかもしれない。
私の店がある愛知県日進市は、民間会社が運営する巡回バスが走っているだけの田舎町だから、住民はバイクか車がなければどこへも行けない。腰の曲がったおじいさんも、軽トラに乗って給油に来る。近年、お年寄りのお客さんが急に増えたような気がする。若年層が近隣の大型店舗に流れたため単に“老人比率”が上がっただけなのかもしれないが、給油中の人の年齢を合計したらおそらく三百歳を超えるだろう、なんて光景もしばしば。うちの給油システムは簡単だから、お年寄りでも簡単に給油できるが、たまに、操作方法を教えてあげたりすると、50代の私に向かって、「ありがとね、おにいちゃん」─。どういたしまして、どうかきょうも安全運転で。
セルフスタンドコーディネーター 和田信治
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