vol.843『どうしてもやるというのなら…』

東京オリ・パラ組織委員会が日本看護協会に、医療スタッフとして看護師500人の確保を要請したことに対し、医療関係者から批判が上がっている。菅首相が「休んでいる方もたくさんいると聞いている。可能だと考えている」と語ったことで、怒りの火に油を注ぐ格好となり、「現場は五輪どころではない。1人出すのも無理」と猛反発している。しかも、派遣にあたっては1回分の往復交通費と宿泊費などが支給されるだけで、手当の支給も、病院への補償も明示されておらず、現時点では「ボランティア」扱いとのこと。愛知県では28日、インターネット上のデモも始まり、「#看護師の五輪派遣は困ります」がトレンド入りを果たした。SNSでは怒りの矛先が東京五輪出場が内定しているアスリートにも向けられ、「アスリートの皆さん、医療従事者の過酷な仕事ぶりを見ても、五輪に出たいと言えますか?」などの意見まで飛び出している。

実際、陸上の新谷仁美選手が昨年12月に「アスリートだけがやれると信じたいと言っても、このご時世ではただのわがまま。みんなやりたいとは思っているけど、人の命がかかっている状態でやるのは…」と心境を語っているように、アスリートたちにも苦悩が拡がっているようだ。海外のアスリートからはすでに東京五輪への出場辞退や再延期を求める声が上がっている。五輪で4個の金メダルを獲得した英国のボート競技の英雄 マシュー・ビンセントはツイッターで「2024年への延期」を提案し、男子ゴルフ世界ランキング1位のダスティン・ジョンソン(米国)は不参加を表明している。

私のいまの感覚は、高校野球で10対0で負けているチームの9回裏の攻撃を見ているようだ。「ゲームセットまであきらめてはいけない」とか「野球は9回2アウトから」と言ったって、もう勝つ確率は限りなくゼロに近い。それでも、選手は全力疾走し、ヘッドスライディングで勝利への執念を見せる。感動的と評する向きもあるが、やはり虚しいというか切ないというか…。4月上旬に競泳の日本選手権で奇跡の復活を遂げた池江璃花子選手が、「オリンピックに向けてさらに調子を上げてゆきたいです」と目を輝かせながら答えているのを見ていて、同じような感覚を抱いた。スポーツのもたらす力を感じつつ、その限界をも同時に感じたのだ。

スポーツが人々に勇気や感動を与えることは言うまでもない。しかし、健康面でも経済面でも不安な日々を送っている多くの人にとって、もはやオリンピックどころではないのが実情だ。朝日新聞が先月20・21日に行った世論調査でも、「再延期」が36㌫、「中止」が33㌫で、「今夏に開催」の27㌫を大きく上回った。これがいまの“空気”。為政者たちがそれに気づいていないわけがない。問題は、いつ、だれが「中止」を言い出すかということ。まあ、菅首相か小池都知事のどちらかだというのは大方予想がつく。どちらが先手を取るにせよ、「国民のために苦渋の決断をした」とか何とか言って、支持率アップを図るための政治カードとして切ることになるのだろう。

しかし、アスリート、とりわけマイナー競技のアスリートの多くは、無観客でもいいから開催してほしいというのが切なる願いではないか。一昨年、ラグビー・ワールドカップで日本代表が初の決勝トーナメントに進出する快進撃を果たした際、ロクにルールも知らない“にわかファン”の大群衆が現れたのには驚いた。しかし、彼らは未来のお客様であり、競技者でもある。そのためにも最高のパフォーマンスを見せなければならない。ラグビーですらそうなのだから、多くのマイナースポーツ競技者にとって、世界中継されるオリンピックは4年に1度の「認知度爆上げ祭り」であり、そこでメダルを獲得するか否かで、今後の国内での盛衰、つまり、どれぐらいスポンサーが付くかとか、競技人口の裾野が広げられるかがかかっているのだ。

コロナ禍で厳しい経済状況の中、彼らの多くはアルバイトで糊口をしのぎながら、自国開催というまたとない晴れ舞台に人生のすべてをかけてトレーニングを積んできたに違いない。サッカーの最高峰はワールドカップ、テニスはウインブルドン、ゴルフはマスターズであって、決して五輪ではない。プロアスリートはとてつもない額の報酬を得ている。そんな競技は五輪種目に必要ない。もし東京五輪を開催するというのなら、期間と規模を縮小し、マイナー競技とパラスポーツだけで開催してみてはどうだろうか。そうすれば、エンターテインメント性に傾斜するあまり金まみれ体質となった「商業五輪」と訣別し、本来のアマチュアリズムへの回帰を果たした歴史的な大会となるかもしれない…。

 セルフスタンドコーディネーター 和田信治
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