vol.842『禁酒法』

政府は、コロナ第4波に襲われている東京、大阪、京都、兵庫の4都府県に対して3度目となる緊急事態宣言が発令された。期間は一応今月25日から5月11日までだが、状況次第では延長もあり得るとのこと。まさに「三度目の正直」。ところで、何で“三度目”なんだろう。「仏の顔も三度まで」とか「二度あることは三度ある」など、やっぱり“三度目”が限界ということなのだろう。さらには、二度失敗して、まさか三度も続けて失敗するはずがないという、期待や希望を含んだ「頼むから今度こそ」という願望感覚が含まれているのかもしれない。

今度こそ押さえ込まないと、あと3ヶ月に迫った東京五輪の開催もいよいよ難しくなる。失敗は許されないという切迫感から出てきたのが飲食店の酒類提供を終日禁止をするという新たな措置。遂にやるか、というのが私の感想。多分やるだろうなと思っていた。どれほど効果性があるかということよりも、危機感を訴えても屁の河童とばかりに路上呑みに興じる若者たちに対する為政者の苛立ちが見て取れる。小池都知事など言葉には出さないが、目でこう言っているように思える。“アンタらええ加減にしいや!”─。

ネット上では“令和の禁酒法”などとブーングの嵐が巻き起こっている。禁酒法とは1920年から33年まで米国で施行された合衆国憲法修正第18条のこと。この法律は飲酒そのものを禁じるものではなく、製造・販売・運搬を禁止するものだった。その結果、密造酒が一大産業となり、「スピークイージー」と呼ばれるもぐり酒場が脱疽のように拡まった。正真正銘の“隠れ家バー”だ。当然、ひそひそ声で註文しなければならなかったため、Speak easyの名が付いたと言われているが、コロナ禍のいまなら模範的な酒場といえる。

天下の悪法と名高い禁酒法が、議会制民主国家においてなぜ成立したのか。ピューリタンや女性団体などによる酒類の規制運動は19世紀からあったが、第一次世界大戦により敵国だったドイツのイメージが強いビール業界への反発が高まり、禁酒法成立の追い風となる。さらに、高度経済成長を加速させたい大企業は、労働者の生産性を上げるために、この法案を後押しした。また、この法律によって、酒だけでなくアルコール産業全体を弱体化させることを目論んでいた業界がいた。石油産業である。禁酒法に乗じて、米国のエネルギー市場を制圧した石油メジャーは、それ以降、米国経済に絶対的な影響力を持つことになった。

結局、1929年の大恐慌により大不況に陥ったことでアルコール販売を解禁し、それに税金をかけて失業者対策に充てようとの動きが強まり、1933年禁酒法は廃止となった。お酒がなくなれば、平和で、豊かで、健康な社会が実現すると信じていたモラリストたちの理想は崩れ去り、犯罪組織は密造酒の販売などでかえって巨大化してしまった。今回の緊急事態宣言下での“禁酒法”も、法律で押さえつけることで、かえって新たな違法行為や道徳低下を生じさせないか心配ではある。

一方、テレビでは「お酒が出せないなら店を閉めた方がいい」と嘆く飲食店主さんの様子が報じられているが、自慢の料理もお酒がなければ食べてもらえないということなのだろうか。私も以前は、生ビールを飲まずにホルモン焼きを食べるなんて考られなかったし、刺身をほおばったら日本酒でキュッとやるのがルーティンだったが、2年前大腸炎で入院したのを機に自らに“禁酒法”を課してみて分かったことは、別に酒がなくても美味しいものは美味しく食べられる、ということ。「酒がなくっちゃ…」とこぼす方々も、この機会に酒の力を借りずにお気に入りの店の料理を味わってみてはどうだろうか。

ところで、禁酒法時代といえばアル・カポネ。カポネといえば映画「アンタッチャブル」(1987・米)。ロバート・デ・ニーロが貫禄たっぷりに悪の帝王を演じた。多くの犠牲を払いながら遂にカポネに法の裁きを下したエリオット・ネス(ケビン・コスナー)が、裁判所を出たところで新聞記者に話しかけられる。『禁酒法は廃止になると言われてます。その時はどうします?』『飲みにでも行くさ』─。

 セルフスタンドコーディネーター 和田信治
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