COCと独立経営<658>「ガソリン大事」を育んだ標準価格 – 関 匤

1996年の自由化(特石法撤廃)で最大のポイントは「価格体系の逆転」にありました。日本固有の石油価格体系を国際化したことです。

固有の体系とは、1973年の石油ショック時に作られたものです。この時、元売各社はボロ儲けしたのはつかの間で、石油連盟を舞台とした「石油闇カルテル事件」で社会から激しい糾弾を浴びました。

間の悪いことにゼネラル石油販売会議の文言の一部が切り取られて、“(石油危機は)千載一遇の好機”という言葉が独り歩きします。文脈としては、「初めての経験でありマーケティングを磨くうえで好機」という趣旨だったそうです。

世論を読んだ通産省次官が「石油業界は悪の権化」と発言して、社会は沸騰しました。消費節減で高値原油を抱えた元売は、外資を除いて軒並み赤字に転落します。しかし、世論の厳しさの渦中で値上げができない、という状況でした。

この時に、通産省が価格体系を転換しました。「標準価格」の発動です。原油高騰分以上のコストをガソリンに乗せて、他油種は値上げを大幅に押さえました。ガソリン高・中間品安の体系になりました。

時代背景として、灯油の消費者(政治)運動が激しく、軽油は建設族と運輸族、A重油は水産族の圧力があり、ナフサや重油は高騰すると物価全体を引き上げます。唯一、ガソリンは“嗜好品”とされたことと族議員が存在しないために、エイヤ!と独歩高に置かれました。

政治的には無難な選択だったとしても、この価格体系が石油業界を“未開の大陸”にしてしまったと考えています。

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統計を見ると、ガソリン高にも関わらず乗用車保有台数は伸び続けています。危機前の1972年の1千万台が8年後には倍増しています。ガソリン販売も年率3~4%ずつ増えていました。ガソリンが高くても自動車を持ちたい消費者がたくさんいました。

一方、業界を“未開の大陸”とした元凶がガソリン高でした。いわゆるスプレッドで言えばL40‐50円はあったと思います。元売人事はガソリン部門に傾斜します。中間品では飯が食えませんから。

この利ザヤの中で、元売と特約店との不透明な取引慣行が生まれます。利益商品を売るインセンティブが働くので、各地でガソリン安売り競争が発生します。通産省想定外の副産物も増大します。当時の無印SSです。特約店がサブ店仕向けで堂々と出荷していました。

書けばキリがありませんが、標準価格から自由化までの20余年でSS業界には「ガソリン大事」が刷り込まれました。

大事なことは理解できますが、自由化=国際化されて価格体系がガソリン安に転換しても、ガソリン価格がらみの政治運動には違和感を覚えます。とくに変わらないことは「排斥論」です。自由化前は系列内安売り店と無印、自由化後は独立系PBに向いたと思えばホームセンター、次はディスカウント店と排斥相手を見つけては、関係官庁や政治に訴えます。

なんか昔に見た灯油の消費者運動とオーバーラップします。元売の課長や石商の灯油部会長を呼びつけて蛇蝎の如く糾弾していました。もう一つ思い出したのは、なんにでも噛みつく消費者運動を半ば揶揄したブルースバンド・憂歌団の「お政治オバチャン」です。

COC・中央石油販売事業協同組合事務局


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