COCのPB経営者に「戸籍」を尋ねたことがあります。「本籍地」は、肥料、農業、廻船業、自動車販売等々多岐にわたりますが、SS業としての本籍地は系列販売店(サブ店)が大多数です。昔のエッソとかシェルとか出光では特約店もいます。
要は、PBは販売店がマークを外した方が少なくないということです。
転籍も含めて何らかの理由でマークを外した時期は、大きく二つあります。一つは、昭和50年前後、もう一つは1996年の自由化以降です。
後者はかなり合理的に説明できます。ガソリン安・中間品高の価格体系に変わり、ガソリン粗利が大幅に圧縮されたこと。バブル崩壊と金融危機が重なり、元売の系列信用管理が強化されたこと。元売は大幅な事後調整や支援が出来なくなり、製品輸入自由化も相まって、商社やJAと元売の関係が流動化したこと。元売再編で取引関係が変動したこと。セルフが解禁されたこと。先物上場で現物仕入れが可能になった。
等々により、積極的にあるいは止む無くPBになる方が急増しました。
一方、昭和50年前後です。系列内が混乱した記録があります。第一次石油危機後、通商産業省は標準価格を発動して、これが96年までのガソリン高・中間品安という国際的に逆行した価格体系となります。原油高騰のコストを、政治商品であった灯油や景気を直撃する産業用油種で低く抑えて、ぜいたく品と見られたガソリンで吸収する価格体系でした。
同時に通産省は、省エネでSS新設を凍結します。この結果、連産品で生産されるガソリンが行き場を失って大量の業転となります。そこで「無印」が大量発生しました。
元売の原油・卸のスプレッド(さや)が大幅に増えたことで、特約店に事後調整や業転扱いなど手厚い支援策を駆使します。
その中で、各地で販売店の反乱が起こっています。理由は、販売店卸価格でした。ある地区では特約店が卸価格を談合していたそうです。そのため、県単位で販売店が横の連絡会を作ったり、地域で結託して業転の共同購入を図るケースが出現します。
COCでもこの時期にマークを外した方に聞くと、石油危機時に特約店が販売店に回さず直営SSを優先したことへの反発でした。不思議と、この時期にPB化したあるいは別の元売で特約店昇格した会社は今に勢力を保つところが少なくありません。
そういえば、旧エッソ石油はその誕生時に米国の指示で、代理店を説得しながら希望する販売店を代理店昇格させています。販売店は三次流通となるため、ブランド価値の管理が行き届かないという考えだったと思います。その時昇格して、大手代理店に成長された会社もあります。
今後、元売と特約店は新しい取引基準に移行するでしょう。では販売店はどうなるのか。非常に関心があります。販売店にとって元売は、特約店です。上記のように成長飛躍した例があるように、販売店で潜在能力を持つ会社が少なくありません。
しかし、同じマークを掲げながら、取引は特約店との属人的な相対が多いと考えられます。元売が、販売店を新戦力として尖兵とするのか、それとも特約店の需要家扱いで流通市場に埋没させるのか。「再編で革新する」と本気で言うなら、前者を選択して系列流通の刷新を図るべきでしょう。
COC・中央石油販売事業協同組合事務局