COCと独立経営<777> 「標準価格制度」の宿痾⑤ – 関 匤

私がこのテーマで書いているのは、SSは「小売業」なのか「石油供給業」なのかよくわからないことが一つ。サプライチェーンとか安定供給という言葉ばかりが大声で叫ばれるのですから供給業なのでしょうね。

もう一つが、標準価格制度以降の規制が明らかにSSの進化を止めてしまったという残念な気持ちです。“たられば”ですが、標準価格をさっさと撤廃して石油危機前の既定路線通りセルフ解禁しておけば、SSは流通サービス業界で大きく成長して上場企業が出現していたかもしれません。米国と同時並行的に業態を進化させたはずです。

何度か書いていますが、ホームセンターのケーヨーデイツーもコメリもSS企業が業態転換して10年で上場しています。石油危機後の時代は「土地神話」があったので、昭和50年当時よちよち歩きだったセブンイレブンを買収なんて可能性もあったでしょう。

しかし、幾多の可能性の扉を業界自らが閉じてしまいました。

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前回述べたように、石商にとって無印の存在は目の上のたん瘤でした。無印の安売りはもちろん、大手特約店は「サブ店利権」を侵害する存在でした。

昭和50年代にサブ店からマーク替えで系列特約店に昇格した経営者が言っていましたが、転籍の理由は、無印の業転仕入れとの価格差に不満が募ったからだそうです。

COCでもPBや転籍した会社に「元サブ店」が多いのも、サブ仕切り問題が存在していたからです。

そして無印排除を目的に議員立法されたのが「揮発油販売業法」(揮販法)でした。法案は内閣法制局で憲法抵触部分を修正され、また競争制限として公取委が関心を強めたことで見事に骨抜きされました。

届け出制は登録制に強化されましたが、「元売供給証明」を義務化した文言は「直近上位(誰かの)供給証明」の大幅に要件が緩和されます。

1976年に施行されて、全国通産局で登録申請を開始しました。すると何が起こったか。添付のグラフの通りです。たった1年間で日本のSS数が約6300カ所も増えてしまったのです。未だに大谷翔平も破れない、史上最大のSS増加記録です。ちなみに第2位は1967年の4600カ所です。

新規申請の無印も数多く登録されました。加えて、登録制度への強化により行政指導次第でSSの営業権が利権化すると、鼻の利く人たちが何でもかんでも登録申請したのです。例えば、運送会社やセメント工場の自家用施設、港のモーターボートの給油施設まで登録されました。これ「サービス・ステーション」じゃないですね。

そして、資源エネ庁は骨抜きにされた法律を行政指導で補強しました。SS新設で既存店との距離規制、2年間は新設・大型改装できない指定地区制度が始まります。ガソリン分析は当初、SS1カ所に分析器を導入としていました。機器メーカーと政官の癒着が噂されたそうです。

さらに、第二次石油危機になると新設は廃止代替となり、省エネの休日休業が行われました。元売に対して、生産枠規制に加えて業転を抑制するために四半期ごとのガソリン生産量規制(PQ制)も行われました。

この結果、老朽化したSSの改廃が進まない中で、元売から廃止枠を優先調達できる有力店が新設を増やして、枠の利権化にともない系列内の序列がSS数で決まるようになります。この当時、団塊世代は30代に入ったばかりでSS新規開業に意欲的な方が少なくなかったのですが、夢を実現する余地は極めて小さいものでした。

揮販法と行政指導が、業界を「ガソリン脳」に洗脳する結果となりました。

COC・中央石油販売事業協同組合事務局


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