国土交通省が実に粗末なことをやっていました。建設工事額調査統計の二重計上です。
毎月の調査票提出が間に合わない業者に関しては推計値を算入していたのは速報的な考えでは間違っていません。しかし、業者が数カ月まとめて提出した時に、推計値を削除しないで実績値を算入したから受注額が倍増してしまい統計としての価値を失いました。
国交省のやったことを品確法に譬えれば、SS数が今も「6万カ所」存在していることになります。
政府統計は政策の判断指標であり、これがガセデータであれば日本国が見当違いの方向に走ってしまいます。怖いのは「ゴキブリ一匹見つかれば後ろに999匹いる」ことです。私が本稿で引用する統計が間違っていないことを祈念します。
◇ ◇
標準価格でガソリンが利益の固まりになったことを元売も販売業者も理解していました。甘い蜜に蜂が群がるように“分け前”の分捕り合戦が繰り広げられました。今のように原油から業転まで指標価格は存在していない(この価格体系では作りようがなかった)時代ですから、商社も含めて有力な販売業者は元売に袖を振らせました。
元売は規制縛りでSSを自由に作れず休日休業までやられたため利益商品のガソリンが伸びません。(グラフ)は1975年から85年までのガソリン前年比です。第二次石油危機の規制が強化された七九年から伸びは一気に鈍化しています。それでも100%台を維持したのは、この間に乗用車保有台数が1.8倍に激増したからです。
省エネで規制をやるなら乗用車の販売規制をやればよいのに…と思ってしまいますが、霞ヶ関にとっては石油業界よりもトヨタが上客なのでしょう。
ガソリンをもっと売りたいという元売の本音を理解するやり手の経営者は、独自にガソリン量販を展開しました。資源エネ庁は競争制約を考えていましたが、規制時代は価格競争が各地に起こっていました。ゴンタ店という言葉が生まれますが、大部分が「系列ゴンタ」でした。
外資系元売には「ボルコン」という隠語がありました。ボリューム・コンセントレーションの略で、「徹底的に量販に集中するSS」という意味です。各系列に有名なボルコンさんたちが存在しました。安売りや販促で集客するのですが、自己責任というよりは元売のインセンティブを当てにしていました。
元売が主に商社を使って行ったのが「マーク替え」です。規制の時代に50㌔㍑SSでも年間で600㌔㍑という計算で動いていたようです。1㌔㍑50万円時には100万円のトレードマネーが動きました。このガソリンを金で買うという方法が手っ取り早い増販戦略でした。
商社の傘下SSは商社ブランドと元売ブランドのダブルブランドでした。ガソリン利権の時代は元売ブランドを掲示する意味が大きかったのです。商社はマーク替えで手数料が取れる上に業転扱いもありますから、揮販法時代に飛躍しています。
前回述べましたが、SS営業権(枠)が利権化したことで、廃止代替建設用の廃止枠に相場が付きました。紙切れ1枚が3000万円で売買されたと聞きました。業転でも枠売買でもブローカーが大活躍していました。揮販法登録時に自家用施設やモーターボート給油施設を登録していた人たちはウハウハだったでしょう。自家用は営業権を売ってもそのまま使えますから。
色々事例的に書いたのは、変な規制を無理筋で作ると、こういう喜劇が多発するということです。政治が動き、あげくに資源エネ庁が屋上屋を重ねるがごとく規制を積み上げるほど新たな事件が起こることになりました。
COC・中央石油販売事業協同組合事務局