3月15日付油業報知新聞で西尾直毅さんが、またもCOC新年研修会のことを書かれていました。
旧エッソ代理店経営者であった吉川さんと会場で出会って久闊(きゅうかつ)を叙したという原稿です。
文中で1つだけ訂正しますと「(吉川さんが)SSをやめて云々」のところは少し違います。経営実務をNO.2に委ねており、直営SSとして3カ所がしっかりと結果を出しています。吉川さんはSSのオーナーです。好奇心が強いので声掛けしたら研修会に参加してくれました。
SSの跡取りを全く意識していなかったのですが、受験浪人中に御父君が急逝しました。旧シェル石油の1SS特約店でした。
SSを全く知らない吉川さんは2人の社員に意向を尋ねます。“ぜひ社長となって継続してほしい”と要望されたことで覚悟を固めます。翌年、有名私大に合格します。週4日はSS店長、3日は大学という経営者人生の始まりです。
素直な性格で分からないことは分からないという人です。いろんな人に会いながら素直に経営のイロハを学んでいきます。
私が出会った頃は30半ばでした。SS経営に手ごたえと自信を持っていました。真骨頂は集客でした。1SS店なので個人客層にターゲットを絞っていました。
自由化前に、顰蹙を買うほどの「景品販促」が全国的に行われましたが、吉川さんはかなり先取りしていました。
景品を出して終わりではなく、顧客管理しながらDM発信を精力的に行っていました。来店促進とともに油外商品の売り出しで分厚い収益をあげていました。
油外粗利を増やすために、用品類は独自仕入れで個人客が買いやすい価格設定をして、取り次ぎですが車検や鈑金まで手掛けていました。提携工場が吉川さんの専用工場化するほどでした。
170坪のSSは400の燃料を販売していました。もの凄い繁盛店です。
名誉なことに、いわゆる「全国ゴンタ店リスト」に堂々とノミネートされていました。
当時の本人曰く「現場も知らないオッサンたちがやたらと口出しする業界だな」と呆れておりました。私も同感です。そしてリストに載ることは消費者に向き合う経営の証左でもありました。
西尾さんとの接点は自由化を前にした頃です。ただでさえ設備能力が飽和状態になっていたところに道路拡幅でさらに縮小することになりました。
吉川さんは中期の経営ビジョンを考えており、それを認めるエッソ石油に転籍したのです。
吉川さんは、社内規定によりネクタイ1本でも受け取らないエッソのコンプライアンスに感心します。転籍の金銭条件はこれも社内規定で文書化できないのですが、きちんと実行されています。
SS向かいの1000坪ほどに大型SSとして移転し、両脇にスカイラークとセブンイレブンが店子に入って「モール」になりました。自由化時代の先進的な業態となります。
吉川さんは、モール業態もそうですが自由化の意味を正確に理解していました。
「もうガソリン絡みの事後調整や販促補助は大幅に圧縮される。セルフも始まる。そこに自分の経営者コストを載せれば店子の賃料頼みの経営になる」という判断です。
そして冒頭に書いたように、社長を降ります。
「自分の報酬は自分で稼ぐ」と讃岐うどん店開業を考えます。香川のうどん屋さんで1年近く修業します。はなまるや丸亀製麺と違って、古民家風の店舗で本格讃岐うどん店を開業します。
20年たちますが2店に増えて、繁盛しています。キー局のカメラが入ることもあるほどです。
すると数年前、「渡米するよ」とうどん店もNO.2に任せて留学します。
60歳半ば過ぎで心理学の学位を取得して帰国しました。SSでもうどん店でも個人消費者に向き合いながら繁盛店作りを行った吉川さんが、これから何をするか楽しみです。
COC・中央石油販売事業協同組合事務局