前回の「石油業界小説論」で、私が知るかぎりで2作品を紹介していませんでした。ネタ不足なので小説論を続けます。
1つは、1978年の松本清張「空の城」です。主役は石油会社ではなく総合商社、当時「十大商社」の一角であった安宅産業です。安宅は鉄鋼と繊維依存度が高く、石油エネルギー部門の拡大を企図していました。そこにカナダ・ニューファンドランド島の製油所プロジェクトが持ち込まれます。米国安宅が食い込んで原油輸入と製品販売の権利を得ます。同時に米国安宅が本社に秘匿して暴走し、のちにプロジェクト主体企業に巨額の無担保融資を始め特殊な契約が発覚します。
しかも、製油所竣工が第一次石油危機に重なり、原油高に加えてアラブ諸国の圧力で、安宅が期待していたユダヤ系石油会社への販路が閉ざされます。設備も不具合続きで経営が悪化し安宅は債務の泥沼に引きずり込まれます。
安宅産業の破綻が報じられた日、たまたま歩いていた大阪淀屋橋で沿道を覆いつくす放送車、新聞社のハイヤー、カメラマンの報道陣と物凄い数の群衆に出くわしました。
石油事業の蹉跌とともに大きく取り沙汰されたのが経営者一族の放漫ぶりでした。利益を美術品購入に注ぎ込んで、当時で1千億円相当に上っています。破綻後は債務圧縮の財源となりますが。安宅産業の商権は住友銀行の仲介で、伊藤忠商事に委譲します。
この時、繊維部門を伊藤萬が吸収します。のちにイトマンとなり、これまた“石油の魔力”に魅入られます。挙句に「イトマン石油事件」を起こします。取引元売と商社に対して百数十億円の「債務不存在」を主張して、各社需給部隊でハチの巣をつつく大騒ぎとなりました。
安宅もそうですが「石油って怖いな」と感じたものです。
「COCと独立経営」を謳いながら、思いきり脱線していますが、石油業界からは外れていないので良しとしましょう。
さて、もう1冊は経済往来社から1975年に出版された「紙の城」3部作です。絶版ですがAmazonなど古書サイトには出ています。作家・本城雅人の同名の小説があるのでお気を付けください。
著者は那智大介。コスモ石油の前身、丸善石油で常務を務めた方です。実家に置いたままなので詳細な内容は忘れましたが、丸善石油が戦後、急成長と先行投資の積極経営を進めますが、1960年代に経営が悪化します。そして三和銀行による事実上の銀行管理会社となって再建に向かいます。著者は、当事者の1人としてこの過程に関わっています。
丸善石油と言えば、ある時代まで「和田完二社長」の名前が口の端に上りました。戦後の丸善を成長させた立志伝中の人物であり、財界人としても著名でした。
戦前は満州で満鉄や軍部に石油を売ったのは出光佐三と同じです。戦後は、2年間もソ連軍と中共軍に監禁されて、復員したら苦境の会社に居場所はなく、闇屋をやっています。その後に丸善に復帰した波乱の経歴です。
戦後自由化で、販売網を拡大するには供給力を強化すべきと下津、松山製油所を強化し、千葉製油所(コスモ石油)を新設します。この過大な先行投資が経営を悪化させる要因となります。しかし、銀行管理下になってから急激な高度成長期となり、先行投資は正しい経営判断となります。
一方、信仰心が高じて「宇宙の宮」を建立します。これが和田氏の人物評を毀誉褒貶相半ばさせています。
丸善石油は1970年代に“オ~モーレツ”のCMで社会現象を起こすほど、ハイオクで名を馳せます。これが最後の栄光となり、石油ショック以降再び経営が悪化します。通産省天下り社長が「M資金」に引っかかったと雑誌で報道されるほど、資金繰りが悪化しており事実上の債務超過に陥ります。結果、大協石油と合併してコスモ石油が誕生します。
歴史の皮肉を感じたのは、丸善経営悪化の象徴とされたのが和田氏の「宇宙の宮」でしたが、合併新社名が「コスモ」(ギリシャ語で宇宙)であったことです。
COC・中央石油販売事業協同組合事務局