COCと独立経営<960>SS過疎地は揮販法の負の遺産 – 関 匤

よくこの稿で書くのですが、私は「揮発油販売業法」(揮販法)という法律と、そこから派生する行政指導の時代に石油業界に関わりを持ちました。
これもよく話題にしますが、第一次石油危機時に導入された「標準価格制度」によって、日本の石油価格体系は「ガソリン高、中間品安」という世界の非常識体系となりました。

要は、危機時に闇カルテル疑惑に問われた元売各社は、世論から血祭りに上げられました。通産次官が「石油業界は悪の権化」と発言するに至って、業界イメージは地に墜ちてしまいます。このため原油価格高騰でコスト転嫁したいけれど、文字通り世論の火に油を注ぐことになり、石油連盟が政府に泣き付いて発動されたのが標準価格でした。

中間品には族議員と強力な消費者(政治)団体があり、重油は資材の高騰=インフレを助長します。そこで政治や消費者団体のいないガソリンを「嗜好品」と位置付けて、原油コストの大部をガソリンに乗せて値上げを実行したのが標準価格でした。
暫定的な措置であったのが常態化してしまいます。結果、元売は自由化まで「ガソリン販売会社」が実態となります。
標準価格によるガソリン高体系と揮販法はコインの裏表の関係となりました。要は「ガソリン利益保護」です。言い換えれば“非競争市場”を維持することが目的でした。

SS新設は廃止代替で、誰かのSS廃止枠がないとできない。地域を選んで新設や大型改造をできなくする。安売りしがちな現金販売SSを縛るために、書き入れ時の日曜祝日休業を義務化する。

そういえば廃止代替で新設する場合も、通産局に「内面指導」があって、周辺SSの同意が半ば強要されました。これは総合スーパー発展期にあって、既存商業を守るために施行された「大規模店舗法」の応用でした。
揮販法の時代は、SS業態を旧態依然のままに現状維持させながらガソリン価格競争を回避させる時代でした。SSをこれ以上増やさない政策でした。


令和の現在は、「SSをもっと増やしてちょうだい」の政策になっています。古い時代を知る人間にとっては、まさに隔世の感があります。
昭和で言えば30年代、40年代のままでSSが維持されてしまった結果、30年前の自由化の急激な変化に耐えられなかったのです。
後出しジャンケンの“たられば”ですが、揮販法など作らず、暫定の標準価格を早々に撤廃していたらどうなったでしょうか。

往時はアジアに大きな需要が無かったので完全自由化は無理としても、流通市場ではセルフが登場し(実は石油危機前にセルフ解禁を予定していました)、販売各社は直営SSを効率的に配置して大型化するなど業態転換が本格化したでしょう。後世の地下タンク問題は大幅に回避されたはずです。

その時、自由化時のような悲惨な淘汰が起こったでしょうか。私は思えません。土地神話が生きていた時代であり、地主であるSS企業は地場の有力企業でした。元売系列で中の下クラスの特約店さんが、取引銀行支店の懇親会長をやっていました。
市場変化を吸収する余力を持っていました。だから後に到来したバブル期に不動産、金融投資でぶっ飛ぶ会社があったほど、信用力が高かったのです。

そして退場する人もハッピーリタイアメントできたはずです。結果的に販売業界が競争に強くなり、本格的な貿易自由化の時代にも順応できたと考えます。業態が多様化して、小型で給油数量が少なくとも、利益業態を作る知恵が育った筈です。過疎地なりのモデルが誕生した可能性があります。イオンの直近で小さな鮮魚店や精肉店が生き残っているように。
揮販法は、業界のガソリン依存を強め変化対応力を失わせて、いきなり襲いかかった自由化の激震に経営意欲を失わせた元凶と断言します。SSもっと作ってちょうだいの「SS過疎化問題」は揮販法の負の遺産でしょう。

COC・中央石油販売事業協同組合事務局


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