COCと独立経営<728>SS業態の進化を妨げた人は? – 関 匤

その昔、旧モービル石油の課長さんから、同社とエッソ石油の前身スダンダードヴァキューム社(SV)時代の社内報を見せてもらったことがあります。1950年代に「サービス・ステーション」という概念を日本に持ち込んだのはSV社だそうです。SV社は、固定式計量機の「給油」、軽整備の「ピット」、休憩の「レストルーム」の3つの機能を持った業態をSSとして展開しました。

それまでは「給油所」であり、狭い敷地や商店の軒下に可搬式計量を置くだけの燃料補給所でした。一方、SSは点検と軽整備に休息の機能を付けた斬新なカーサービス業態でした。

当時は自動車がステイタスであり、同時に道路事情の悪さもあって頻繁に故障しました。そしてSS発展期と軌を一にしてアフターマーケット市場も急拡大しています。給油・点検整備・休息をワンストップで可能にするカーケア業態はSSだけであり、アフターマーケットのトップチャネルに躍り出ます。今なら、コンビニのような存在だったと思います。

旧日本石油は「オーナードライバーの意識調査」を毎年行っていた時代があります。1975年にオイル交換に行く場所の7割がSSでした。トップチャネルを裏付けています。

私が疑問を抱き続けていることがあります。なぜ、斬新な「SS業態」を世に出し、アフターマーケットの主導権を握った石油業界がその後の進化形を作り得なかったかのでしょうか。

皮肉にも、先述の日石アンケート75年版でSSがオイルのトップチャネルに君臨したその時に、オートバックス、イエローハットが創業します。

セルフサービスで売り場を回遊しながら、価格と品質を検討しながら買いまわることができるお店の登場です。また、ホームセンターという新規事業にやる気の猛者経営者が集って、資材に加えてカー用品を大量販売します。消費者にとって、明らかに既存のSSよりも魅力的な存在が出現しました。SSオイルの交換比率は年々下降して、現状では総平均すれば20%前後と推測します。

しかし、商業というのはこういう繰り返しだと思います。歌曲は苦手ですが、山田耕筰古関裕而、古賀政男らが突破口を開いて、戦後は服部良一・服部克久親子、平尾昌晃、船村徹、筒美京平…と私の知っている人たちを経て、朝ドラの「エール」の世界が現在につながっています。

その流れは一見、過去を否定しているように見えて、過去に新鮮味を感じながら磨きあげてきた歴史です。常に「建設的破壊」を繰り返してきた歴史です。こういうのが商人の世界、マーケティングと思います。

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SS業界は創業期のカーショップとホームセンターにあっさりとアフターマーケトの主導権を奪われました。

数万人もの日本人経営者がトップチャネルに存在しながら、その発展形を作り得なかった稀有な産業とは言いすぎでしょうか。19世紀に始まったSS業界のアフターマーケットでした。しかし、1975年の創業企業が10年待たずに上場企業になっています。数万人のSS経営者は何をしていたのでしょうか?

何年かのちにたぶん、日本の流通業界における「謎」と指摘される筈です。その意味を考えずに、「ガソリン市況維持」ばかり口にする“ノイジー・マイノリティ(声だけ大きい少数意見)”たちの大声が業界を支配した、というのが私の考えです。それといまだに「給油所」という表現を使い続ける永田町・霞が関は…(余韻を残します)

COC・中央石油販売事業協同組合事務局


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