COCと独立経営<774>「標準価格制度」の宿痾① – 関 匤

5月の拙稿で、「2020年度にCOCが設立30年を迎えた」と書いたところ、油業報知新聞社の武田嘉夫社長から電話をいただきました。

「この30年はSS業界激動の時代であった。しかし、最近は歴史的な流れを知らない方が増えている。変動の時代をおさらいするような原稿を書いてほしい」

そんな旨の依頼を受けました。そうなると石油流通史のような内容になるのですが、私は産業史の研究家でもなく、業界を泳いできただけです。「門前の小僧習わぬ経を読む」という言葉がありますが、まさに小僧であって体系的に物事を述べることはできません。

ただ、武田社長から連絡を受けてから、思うところあってネット検索をしてデータを調べました。ガソリンと灯油の小売価格です。

以前から、日本と米国のSSはなぜもこんなに業態設計が異なってしまったのかを不思議に思ってきました。日本でエッソとモービルが誕生した1960年代、メジャーから派遣された外人は米国流の代理店政策を日本でも応用できたと想像されます。

古いエッソのSS向け情報誌に米国SSが紹介されていましたが、基本的には給油・軽整備・休憩機能が付いた標準型SSで、フルサービスによるオイルやタイヤの点検・販売が行われていました。

私は、第一次オイルショックは日米SS業界が同時代的に進んでいたと考えています。何回か前に書きましたが、オイルショック直前に横浜市でセルフ給油を開始しているモービルのSSがありました。250㌔㍑のうち50㌔㍑をセルフアイランドで販売していました。日米同時代的だったのです。

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その流れを変えたのが、第一次オイルショックでした。セルフどころか通産次官が石油業界を「悪の権化」と呼んだことで過剰な行政介入を受け入れることになりました。世論が業界を悪とする中で、高騰する原油価格のコスト転嫁が非常に難しい状況に陥ります。

今の2世、3世の経営者には想像もつかないでしょうが、中間品の灯油は「政治商品」でした。当時の社会党や共産党が強かった北海道では、道主催の灯油懇談会が開催されて通産局、元売、石商、生協、消費者団体が灯油価格を話すのですが、生協、消費者団体は原油価格並みで売れと滅茶ぶりが恒例でした。

そんな時代に原油高騰分を灯油に転嫁できない上に、当時の田中角栄内閣が末期症状でした。

そこで弥縫(びほう)策として霞ヶ関が考えたのが「標準価格制度」でした。中間品のコスト転嫁を押えて、消費者団体が存在しないガソリンに思い切りコスト転嫁する「新価格体系」でした。その瞬間、元売はガソリン以外で利益を出せない会社になりました。

ガソリン安・中間品高は、きわめて合理的な世界の常識です。ガソリン車以外動かせないガソリンに対して、中間品は乗用車も動かす上にバス、トラックに「農家の機械も、漁船のエンジン、ディーゼル発電、ディーゼルポンプ、建設工事」(YディーゼルのCM)までオールマイティの潰しが利く油種です。

日本もオイルショックまでは、消費者運動への配慮からガソリン高・灯油安でしたが、その差は小売価格で1㍑8円ほどでした。(図参照)

しかし、ショック後は差が年々拡大して1977年には「1㍑40円」まで跳躍しています。先述のようにショック時に通産次官が元売を悪の権化と称しましたが、その通産官僚が画策した標準価格こそがSS経営者を明らかに劣化させる「悪の権化」となりました。これは断言します。今回はここまで。

COC・中央石油販売事業協同組合事務局


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