前回に危惧していたのですが、新型コロナの第六波の前に2年ぶりのCOC集合研修会が吹き飛びました。断腸の思いですが、やはり社長さん方をリスクにさらせません。社内で行動規定を作った会社もあって欠席者が続出しました。リモート研修で仕切り直しです。
ところでクリスマスイブに発表されましたが、三着床式洋上風力発電入札での三菱商事の秋田・千葉3地区総取りには驚かされました。
しかもFIT(買取価格)が入札上限の半値以下、家庭用料金をはるかに下回る大胆なものです。再エネ市場において、商事はゲームチャンジャーになりました。
たまたま昨年11月のCOC研修会で再エネ企業レノバの話題が出て、講師は「レノバの高株価は秋田風力落札を織り込んだもの」と述べていました。レノバの株価は入札結果公表前は5千円近くにありましたが、落札不可となった途端大暴落して1月12日の終値1689円と3分の1まで落下しました。
商事のきつい価格がFITのスタンダードになれば、再エネ業界は再編せざるを得ないでしょう。
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しつこくガソリン高時代の話です。
ガソリン高を死守すべく全石連が作らせた揮販法に基づく規制が屋上屋を重ねました。元売はSS新設がままならなくなりました。規制が実効性を持ち始めた1980年度末と規制緩和前年の1989年度を比べると、系列SS数は300カ所ほど減少しています。
同じ期間で乗用車登録台数は、なんと139.9%も伸びています。だからSS当りのガソリン数量原単位は伸びていたことになります。
そこで「原単位受益者」を目指して数多く出現したのが“ゴンタ店”でした。PBをゴンタと称する方がおられますが、ガソリン高時代は堂々の系列の旗を立てたゴンタ店がたくさん生息されていました。SSを増やせない元売とも利害が一致しました。高粗利商品が増販できますから。
ゴンタ店は元売のガソリン高粗利を分かっていますから、事後調整狙いの先行安値で数量を追求します。価格看板を出せない時代(理由は書きません)でしたが、「〇〇石油価格」と表示するだけで大量集客する名うてのゴンタ店もありました。
関西出身の石油連盟会長が安売り店を“ゴンタ”と呼んだのが始まりです。誰が作ったのか「全国ゴンタ店リスト」なるものがコピーで出回りました。リストにノミネートされた系列店が石油組合と元売支店に怒鳴り込んだとか。
元売はSS分野にヒト・モノ・カネを傾斜させていました。各社に優秀な社員が揃って、元売主導による量販施策が展開されました。現金カードの名取り、系列クレジットカード、24時間営業そして景品販促と、セルフ時代の現在につながるガソリン増販の王道がこの時代に出揃っています。
フルサービス時代で面白かったのは、規模に恵まれないSSでもガソリン量販できたことです。120坪で700㌔㍑とか80坪で400㌔㍑というSSがありました。給油動線を考えたレイアウトを駆使して、経営者の知恵が生きた時代でした。だから売れているSSへの「見学会」がブームになっていました。
系列ゴンタ店は市況を崩します。恐らく当時の油業報知新聞紙面は全国各地の市況問題で溢れていたと思います。
なによりゴンタ店が集客する個人客・現金客に対する、元売も含めた認識に大きな温度差がありました。
「現金客はふり(一見)客」と下に見る元売やSS経営者は少なくありませんでした。それゆえ認識の間隙を縫うように、現金客を知悉したゴンタ店が繁盛することになりました。
石油業界は極端から極端に流れる傾向があり、1990年のSS建設自由化の頃になって現金客の有効性に気付いて、SS新設ラッシュと現金量販策が激しく重なることになりました。価格競争に業界が疲弊したまま九六年の自由化を迎えてしまいます。
そして自由化でガソリン安・中間品高の価格体系逆転により、販促補助金狙いの系列ゴンタ店は軒並みはしごを外されることになりました。
COC・中央石油販売事業協同組合事務局