前回まで「標準価格制度の宿痾」として、私が聞いてきたこと、経験したことを書かせていただきました。
宿痾のポイントは、ガソリン高・中間品安という、経済合理性を無視した官僚社会主義的体制が、四半世紀維持されたことです。ガソリン車を走らせる以外に能のないガソリンが高収益化して、あらゆる用途につぶしの利く中間品を叩き売ってしまいました。
私も含めて「ガソリン脳炎」に感染して、ガソリンさえ売っておけばよい、ガソリンで全てが癒されるような共同幻想に陥ったと見ています。この病気は不治の病のようで、令和の時代になっても、業界団体はガソリン絡みの補助金を要求し、霞ヶ関もガソリンだけで流通行政を継続しています。
元売へのガソリン補助金注入なんて、標準価格制度時代でも考えられない政策です。形を変えた「市況介入」あるいは「業界利権擁護」とうがった見かたをされかねません。ガソリン高時代は、事後調整と業転安もあって常にガソリン価格戦争が起こっていましたから。むしろ市場原理が正しく働いていたのかもしれません。
構造的に減少する、成長性の見込めない「ガソリン産業」になぜ補助金を使うのか。頭のいい人たちの考えることは私には理解できません。
1986年に初めて、欧米のSSを直接目にして話を聞くという素晴らしい経験をしました。
スウェーデンの石油生協OK(オー・コー)を訪問しました。生協というと軽く考えるかも知れませんが、国内シェア20数%の販売力と最新鋭の製油所を持つ元売でした。
いわば、JAが製油所を持ったような組織でした。生協本部がホールディングカンパニーとなって、石油、自動車、スーパーなどカンパニーをぶら下げる組織でした。
35年前、SSはすでに完全無人でした。道端に回避路があって、高速料金所のような簡易型無人SSも見ました。しかし、OKの主流は小型ホームセンター併設でした。そのネットワーク内に幾つか整備工場を設置していました。
この整備工場が完全セルフでした。消費者が自分で整備します。日本よりはるかに低価格の車検制度があって、検査場に行くまでに自分で点検整備と部品交換をやっていました。小型HCで交換部品を購入して、添付のマニュアルを見ながら作業していました。
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これは歴史的な民族性の違いではあります。ただ、OKのマネージャーは「ガソリンは価格を変更するだけ。一方、HCのマーチャンダイジングに頭を使う」と語っていました。
当時の日本のSSスタッフは休憩室に貼られた「個人別目標管理グラフ」で、オイルやタイヤやバッテリーの単品ノルマ販売に尻を叩かれていました。
スウェーデンのSSスタッフは、商品のアイテム構成と売り場作りを一生懸命考えていました。当然、後者の方が明るい顔をしていました。ノルマなんて旧ソ連のシベリア抑留の強制労働ですから。(残念ながら令和になっても“ラーゲリSS”が存在するようです)
私はSSを誤解しているのかもしれません。SSを「小売サービス業」と理解してきました。実際に、そう考えて経営する方やSS店長に数多く出会ってきましたから。
しかし、この業界で声の大きい人たちは(できもしない?)「石油安定供給業界」と信じ込んでいるようです。手っ取り早く予算と補助金が入りますから。商品戦略を考えるには経営者1人では無理です。
35年前のスウェーデンと令和の日本。ガソリン脳炎の宿痾は大きいと確認せざるを得ません。
COC・中央石油販売事業協同組合事務局