9日に政府の「ガソリン補助17.7円」と発表されました。前日のWTI原油はロシアのウクライナ侵攻から10日間で30㌦も噴き上がり123.7㌦を付けました。戦争の「材料」に加えて、ロシア原油・ガスの禁輸で需給ひっ迫予想が主な「材料」でした。
このWTI価格は日別で見ると歴代57位です。リーマンショック前の2008年の価格水準が凄くて、WTI最高値は145㌦を付けています。あの時期はガソリン180円超えてトリガー条項発令しましたね。今回は上限25円のうち17円相当が投入されたわけです。
ところがガソリン補助増額の日、WTIは直近で15㌦の大暴落となりました。OPECプラスが40万BD増産を決めていましたが、UAEがさらなる増産を促した、という「材料」が需給ひっ迫懸念を緩和させたようです。いろんなハードな「材料」があって、原油価格は乱高下するでしょう。
こういう状況に既視感を覚えます。1980年から83年頃です。「材料」が多かったのです。
イラン革命でシーア派原理主義政権が西側への原油供給を止めました。第二次石油危機です。第一次に比べて原油需給はさほどひっ迫した記憶はないのですが、長期にわたって不安定な状況が続きました。
しかも、イランは軽質原油なので国際的に中間品需給がひっ迫しました。元売間に「アラムコ格差」が出ました。サウジアラムコ系元売とイラン系元売との間に1㍑10円近い調達原油価格差が生じました。
イラン政変渦中に、旧ソ連のアフガン侵攻という大きな「材料」が出来します。親ソ政権を支援するために、北部の反政府派勢力を排除する目的でした。また旧ソ連の共和国群にイスラム民族が少なくなく、イラン革命の連鎖を起こさないために徹底的にアフガン北部を叩く必要があったと言われます。
侵攻は泥沼化して10年も続き、ペレストロイカとともにソ連邦が崩壊しました。この侵攻に西側諸国が反発してモスクワ五輪がボイコットされました。「緊張材料」てんこもりでした。
そこに輪をかけて、イラクと革命イランの国境紛争が戦争に突入しました。これまた長期化して停戦まで8年を要します。
さらに、イラクがフランスから軽水炉プラントを調達したことがイスラエルを刺激しました。イスラエル空軍が奇襲攻撃を掛けて粉砕しましたが、これでアラビア湾から地中海までが緊張しました。
既視感と材料をもう一つ言えば、米国大統領が奇しくも就任2年目の民主党代表で“理想主義者”であったことです。バイデンは「グリーンエコノミー」、80年のカーターは「人権外交」を掲げていました。
私なりの天下の暴論ですが、米国に民主党から理想主義者の大統領が現れると国際秩序が混乱する傾向があります。
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これらの「材料」によって原油価格は高止まりしていたのですが、BP統計を見るとアラビアンライト公示価格で35㌦前後です。意外に安かったのですね。ただし、先の「材料」が日々変動したために、為替相場が大乱高下しています。年間50円前後も動いています。元売は相場変動で、為替損益より差損を食らうことが多かったと記憶します。
で国内小売市場です。私がしつこく書いた「ガソリン高中間品安価格体系」の時代だったので、ガソリン小売価格はピーク時150円を超えました。35㌦原油では考えられない高さです。
しかも、不安定な「材料」を大義名分に、私が“史上最低の法律”と認定する「揮発油販売業法」に絡めたSS日曜休日休業の行政指導が行われました。ただでさえ高値で客数に影響していた時に、書き入れ時の休業強制でした。
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この“宿痾”はすでに書いたので略します。でも、経産省で引き出しからSS休業の古色蒼然たる資料が見つかったら…。もしも材料次第でガソリン200円を突破するようなら、税収減となるトリガー条項よりもSS休業をやった方がてっとり早いとする可能性はあります。今は、政治家や官僚にとって「脱炭素」の大義名分があります。
歴史的に見て「材料」が多い状況ほど、政治家と官僚が屁理屈を立てやすいので要注意です。
COC・中央石油販売事業協同組合事務局