ウクライナ東部から西部への難民が増加していますが、戦時の混乱で物資供給が滞り困っているそうです。
こんな時こそ、「緊急時石油供給」とか「最後の砦」と叫んでいる皆さんはポーランドからウクライナ各地への「サプライチェーン機能」をフルに発揮していただきたいものです。緊急時には、もちろん戦争も入ります。弾雨の中で最高の実践トレーニングができます。義勇軍編成しませんか。
皮肉ではなく、肝心な時に実行できることが緊急時対応ですから。
佐藤太治氏のユーチューブです。
前回は佐藤氏が通産省に「ガソリン輸入届け」の届け出書式を確認に訪れたところ、書式を貰えないどころか「たとえ届け出でも審査するのは我々だ」とはねられました。
現在上がっている動画では、しつこく訪問しているうちに佐藤氏なりの申請書を持ってくるように言われ作成します。1984年の12月に入って、ガソリン3000kを積載したタンカーがシンガポール石油を出港した段階で佐藤氏は申請書類を届けます。
ここでも禅問答のようなやり取りがあって、受け取りを拒まれます。対応した課長補佐は「私が政府だ!」と言い切ったそうです。はぁ~?となった佐藤氏が「政府って中曽根総理でしょ」と聞き返すと、「いいえ私が政府です」と突っぱねます。この時、政府の実務を仕切る官僚政治の構造を知ることになります。
ところで、佐藤氏がガソリン輸入に動く前にもう1つの輸入の動きがありました。「無印の祖」とされる京都のさわらび石油が150社を集めた「ガソリン自主輸入の会」によるものです。この中に、COC設立者の愛知県春日井市の山口武男氏がいました。
山口さんは、融資先の倒産で辞職しましたが、前職は地銀の出世頭でした。メディアや野党政治家あるいは評論家に巧みな啓蒙活動を行って、「石油業界は規制だらけ」という世論形成を行っていました。
彼らの自主輸入は通産省の壁に当たってサンプル輸入にとどまりました。その間の経緯は風聞しか分からないので書きませんが、会の切り崩しが行われたようです。
調べていたら、当時の政党・サラリーマン新党の八木大介議員(本名・木本平八郎)による国会質疑が出てきました。当時、石油審議会が石油産業国際化の方向性を示しており、八木氏の質問に対して豊島資源エネルギー庁長官(当時)は、「ガソリンにつきましては原則として現在のところ特別の場合を除いて輸入は実際上認められない。ただし、この点につきましても今後できるだけ国際化していくという観点から、現在いろいろと石油審議会の小委員会で今後どうするかということを検討している段階でございます」という答弁を引き出しています。
そのうえで、ライオンズ石油の輸入に関して「通産省は自粛を指導する構え」という12月7日付朝日新聞の報道は長官の応答と矛盾していないか、と質問書を提出しています。
国会質疑や朝日新聞報道など、ライオンズ石油の輸入が大きな話題となっていたことが分かります。
先の国会質疑(84年4月6日参院商工委員会)でこのようなやりとりがあります。
○木本平八郎君 「しかし、ガソリンの輸入は原則自由なんですね」
○政府委員(豊島格君) 「おっしゃるとおり、原則自由でございます」
佐藤氏が動画で述べている経験は、「原則」であって「私が政府だ」のひと言で拒否できる「自由」であったことが理解できます。
輸入の顛末は分かっていますが、ネタバレせずに佐藤氏の次回動画のアップを待ちます。
今回も動画より画像を掲載します。「私が政府だ」とテロップが入っています。
COC・中央石油販売事業協同組合事務局