事業組合でささやかながら研修会を企画する立場にある者として、非常に嬉しい出来事がありました。
コロナ禍にあって、2年間ZOOMを使った研修会を開催してきました。講師の数でいくとほぼ毎月やっていたことになります。そんな中で、ある講師が関西の1SS店主が中古車をカスタマイズして販売しているお話をしました。
COCの某社長が敏感に反応して、速攻で行動しました。「趣味がビジネスになる!」とバイク好きの社長は、同じ趣味のSS店長に「やってみろよ」と持ち掛けました。店長もびっくりしたそうですが、果敢に挑戦して苦節6カ月を要して、ホンダの廃車バイクをレストアしました。この間、車検整備など実績と労務管理の店長業務をこなしながらで大変だったようです。廃車を買った10倍で店頭販売されています。
研修を企画した者として、こういう出来事は本当に嬉しいものです。それと大きいのは、右も左も同じような商品を売っているSSにあって、世界中でこのSSでしか買えない商品が出来たことです。SSの設備と技術そして人間力のインフラが独自性を生み出すことを証明しました。
さて、佐藤太治氏のYouTubeですが、ここらで終わりにします。
現時点ではガソリン輸入記者会見をしたら、NHKなど大手メディアが特集などで大いに背中を押してくれたと述べています。
この後の顛末ですが、1984年12月、シンガポールを出港した佐藤氏のガソリンを積載したタンカーは神戸港に到着します。年明けには国内業転より130円も安いガソリンが流通する手はずでした。
石油連盟は「通産省は断固たる措置を!」と声明を出します。石油審議会も「(通産省の)輸入中止を求める勧告は妥当」とします。しかし勧告には法的強制力がありません。ここで政府はそれを阻止すべく“禁じ手”を打ちます。佐藤氏の取引銀行の城南信金が融資中止を連絡します。「国策に反する事業に貸付けはできない」が理由でした。
ここで進退窮まった佐藤氏は、通産省の斡旋に乗り輸入ガソリンを日本鉱業に売却します。私は当時、大蔵省まで手を回す国策の怖さを知りました。
しかし、この騒動はメディア報道とともに海外からも批判を浴びることになります。当時、米英のトップが規制緩和で小さな政府を推進する屈指の実力派でした。
通産省はガソリン輸入解禁へ国策を転換します。この時出来たのが特石法です。長年の規制慣れした業界だけに、10年間ソフトランディングで徐々に規制を緩和しながら、最後の最後に輸入自由化で特石法を撤廃しました。
佐藤氏が動画で語る通産省官僚のやりとりを聞いていると、この事件以前に通産省内で規制緩和を進める流れがあったのではないかと想像します。輸入中止から特石法制定まで疾風怒濤の動きだったと記憶します。すでに準備していたのではないかと疑ったほどです。
その後、SS業界を離れて以降の佐藤氏にはあまり良い噂を聞きません。私が佐藤氏の動画を紹介した理由は、昭和の石油業界には国相手に喧嘩を売る30歳の経営者がいたことです。佐藤氏以外にも、独立開業した30歳前後の経営者が少なからず存在しました。優秀な後継者も大事ですが、一方で独立開業する人たちが入ってこないと業界にダイナミズムが生まれません。
COC・中央石油販売事業協同組合事務局