しつこく茨城の村上さんのことを書きます。
ATAのオープンから3年ほどは赤字垂れ流しで苦労していました。
カーケアは非常に属人的、生業的な要素が強いので、ディーラー出身の整備士の労務管理に苦労していました。村上さんの考えるカーケアセンターのコンセプトと働く人の頭をマッチングさせることが想像以上に難しかったのです。
車検の世界もSSと同じく強力な運輸行政の規制に守られてきました。ガソリンを給油することは強制されませんが、車検は義務です。規制障壁に守られてきたので、強力なライバルも現れず顧客のTPOを意識する必要がありません。
そういう世界に慣れ親しんだ整備士に対して、村上さんの考え方は正反対の「対顧客接点でのカーケア」でした。この言葉は彼が常に口にしていたものです。米国で見た売り手と買い手の対等なクイックルブやカーウォッシュサービスが、ATAの原点にありました。
オイル交換や洗車を行った顧客が、満足度の証としてチップを渡します。料金の10%もあれば20%、30%もあります。SS業界で「CS」(顧客満足)という言葉が乱れ飛びますが、そこには尺度はありません。米国ではチップの額で定量的に評価されます。だからCSという言霊に自己満足する経営者の発想は通用しません。
村上さんは、チップ習慣のない日本で、いかに売り手と買い手の関係を「対称」なものにするかを考えていました。
彼の考え方と真逆なことを“戦略”と称して現在も展開しているのが元売系列の「目標管理」です。一時ネットの掲示板で叩かれ、実際に国交省ネガティブデータで「違法車検」の常習者になっていました。
ガソリンと同じコモディティ発想でカーケアを考えているので、「数量×粗利」の世界を延々と継続しています。
業界の先達に教えを頂いた私としては、元売系列のカーケア戦略の基本哲学は昭和30年代に登場したSS業界から進化していないと思われます。
それにアンチテーゼを唱える存在がATA店のカーケアサービスでした。明朗、正直という「対顧客接点」を追求していました。
たしかATA店が4年目を迎えた頃、「単独で黒字になった」と明るい顔になりました。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という言葉がありますが、それまでは内部的な問題が続出してモグラ叩きをする日々だったことは容易に想像できます。
この間、ATAのコンセプト実現のために、外部専門家や全国の経営者訪問、必要な機器システムの導入など投資を行っています。生業的であるがゆえにスタッフと真正面に向き合うことは日常茶飯事だったでしょう。ようやく「ATAのサービスはこういうもの」と働く人たちに浸透しました。
単年黒字化したとたん、一気に成長軌道に乗ります。たしか2012年頃、「減価償却できた」と嬉しそうに話していました。茨城県信用保証協会による「茨城の元気企業」にも選ばれています。石油業界は「PBでガソリンを売る店」としか認識されていないようでしたが、整備業界からは有力月刊誌で「日本の整備工場10選」として新年号で紹介されました。
実績を誇るのではなく、税理士、社会保険労務士とは連絡を密にして、村上さんは財務や労務を実践的に考えていました。働く環境を整備して労働生産性を高め、在庫管理は単品管理の仕組みを構築していました。合理的にお値ごろながら利益が出る、売り手と買い手の「ウィンウィン」を常に考えていました。
黒字化した頃に、トヨタのタクティが取引を求めてきました。看板方式同様に、村上さんの単品管理に対応して、部品用品を荷姿ではなく単品で一定時間内に届けることになりました。自動車アフターマーケット市場で単品管理の発想は非常に珍しいことです。
「元サブ店」がやりました。
写真 : 部品用品類は「単品管理」されていた
COC・中央石油販売事業協同組合事務局