vol.836『刹那的生き方』

 『バイデン米大統領は11日、ホワイトハウスで国民向けに演説し、新型コロナウイルスのワクチンに関し、51日までに米国の全成人が接種を受けられるよう知事らに指示すると表明した。また「74日の独立記念日までに国を平常の状態に近づける」と目標を発表した。疾病対策センターによると、7日間の平均でみた米国内の1日当たりの新規感染者は、このところ6万人前後と、1月中旬のピークから4分の1程度にまで減少。今月11日時点で国民の2割に相当する6400万人強が、少なくとも1回のワクチン接種を受けた』─312日付「時事通信」。


 できるかできないかは別として、明確な目標を定め、それを公表することによって国民の士気を鼓舞するという手法においては、おしなべてアメリカのリーダーは長けているなと感じる。しかも、独立記念日と結びつけることで、否が応にも国民の団結心は強まるというものだ。コロナウイルスによって、第1次・第2次世界大戦、ベトナム戦争の死者数の合計よりも多い53万人余りの犠牲者を出している米国だが、あくまでポジティブに明るい未来への相場観を発信することで、何とか分断した国家をまとめてゆこうとしている。


 一方、日本では“できなかったらどうしよう”という思いが先に立つのか、なかなか明確な目標が発せられない状況が続いている。そのため、人々は各々の感覚で行動し出しているように見える。感染者の下げ止まりが懸念される中、先週末の東京都内の繁華街は昼飲みを楽しむ人たちでにぎわい、午後8時以降は都の時短要請に従わない店の前に行列ができるなどの光景がテレビで報じられていた。「緊急事態宣言には慣れた。外で飲むのは自己責任」、「罪悪感もないし、罰則もないから怖くない」など、居直る人たちも。


 首都圏での緊急事態宣言は21日に解除されるようだが、医療関係者からは早くも“第4波”を懸念する声が出ている。変異ウイルスが全国に拡がりつつあり、その感染力も脅威となっている。だが、コロナ禍が始まった頃に比べて、明らかに人々の危機感は低下している。明確なゴールが見えないまま、“朝の来ない夜はない”などと言われても、何の慰めにも、励ましにもならない。「いまが、ここが、自分が」楽しければそれでいいという刹那的な空気が拡がっている気がする。ただ、もともと仏教用語である「刹那」には、過去にこだわることなく、一切の後悔を振り捨て、未来に訪れるかもしれない災厄を予測して不安になることもなく、ただ今の瞬間に全力で生きる、という考えが込められているそうだ。


 その意味においては、刹那的とはいまの時代に持つべき観念なのかもしれない。自己啓発本のミリオンセラー「人を動かす」の著者 デール・カーネギーは、「人生とは今日一日のことである」との言葉を残しているが、ついつい「今日一日」を漫然と過ごしてしまう。大抵 人は“明日があるさ”と思っているのだから。十年前の311日に大震災に見舞われた人たちもそうだったに違いない。あの日、妻に辛らつな事を言って仕事に出かけ、それが最後の会話となってしまった男性は、いまもその事を後悔しているという。そんな切ない話を新聞で読んだりすると、今日という日をもっと大切に生きてゆかなければ、と神妙な心持ちになる。


 とはいえ、ガソリンスタンドの店主の一日なんて、ドラマチックなことは何も起きないし、とにかく一日が無事に過ぎれば良しという感じだから、ついつい時間を浪費してしまう。そんな私は、ナポレオンに言わせれば、「お前がいつの日か出会う禍は、お前がおろそかにしたある時間の報いだ」ということになる。例えば、仕入れ価格が上がっているのに、値上げをためらっていると、その「おろそかにした時間」のツケがまわってくるということ。やはり、「刹那的」に、今日できることは今日やっておかなければならない。「時のある間にバラの花を摘め、時はたえず流れ、今日ほほえむ花も明日には枯れる」─ロバート・ヘリック(17世紀の英国の詩人) 

セルフスタンドコーディネーター 和田信治
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